毎年、母の日には花的なものを贈っておりまして、
まあこれはブログやコラムのネタにもさせていただいておる罪滅ぼしの意味を込めて、ですが
(そういえば次号のKINGの連載で「浅田真央の落とし方」というのをやっていますが、
そこにも母・育子が登場しますのでぜひご覧になってくださいませ)
今年も母の日が近いので何を贈ろうかなと考えていたのですが、
毎年花ばかりなのでちょっと芸がないかなと思い、
しかし、何を送ったらいいのか見当もつかないので
「プレゼントは贈る相手に直接聞いたりすると冷めるものだよなあ」
と思いつつも、
今回はあえて聞いてみようと思い、電話をしました。
「何か欲しいもんある?」
すると0.5秒くらいで
「なんもいらん」
というレスポンスが返ってくるのでした。
それでも、あれこれと詮索した結果最終的には「バッグなら欲しい」という答えを引き出したのでした。
0.5秒で「何もいらない」と答えるという行為には、ある種の不自然さを感じました。
本当に何もいらないのであれば、「うーん、欲しいものねえ、そうねえ。今は何もないかもね」みたいなのが自然な流れだと思うのですが、昔かたぎの人といいますか「自分にぜいたくはしない」という決意の表れが0.5秒という数字に表れていたと思うのですね。それは「欲しいものはない」のではなく「欲しいものはない、と言わなければならない」といいますか。たぶん僕の母親はほとんどぜいたくなんてしたことがない人なんだと思います。
そこで、まあちょっと本の印税なんかも入ったことですし、
ここは逆にバーンと行ったりますか!なんて思い、
一応候補として「エルメス」のバッグの値段なんてのを調べ始めたわけなのです。
エルメスのバーキンの値段を見たら唖然としました。
120万円て
僕はですね、そこまで高くはないと思っていたのです。
僕がこう言うと、「え、エルメスのバーキンて120万円でしょ。それくらい知ってないと」と思う人って
このブログを読んでいる人の中でも大勢いると思うんですけど、
いや、実は、僕がエルメスのバーキンの値段を錯覚していたには理由があるんです。
それは、
エルメスの黒のバーキンを持っている人って、結構いますよね?
学生時代にもいました。社会人になってからもいました。
そこそこ持ってるから、「たぶん、これくらいの値段なんだろうな」と思っていたのです。
でも、今、この値段を知ってから思うのは、あの人たちって
相当サブかった
ということなんです。
これはですね、「男から買ってもらった」とか「若いのに」とかそういう次元ではないんですね。大人だろうが、何だろうが、自分の金で買ったんだろうが、肩から120万円のバッグをぶらさげて「カッコイイ」と思っている人たちはいかに自分たちが「サブい」かを知るべきでしょう。
たとえば、生活をギリギリまで切り詰めると、東京でも月10万円くらいで生きていけます。
つまり120万円というのは1年間生活できる金額です。
1年間死ぬ気で頑張れば、人生を変えられます。
つまり、120万円というのは、人間一人の人生を変えるだけの力を持った金額なのです。
それと同等の価値のものを「ステータス」という理由で肩からぶら下げている女は、
どれだけ美しかろうが、「アウト」の領域なんですよ。
「本当に良い物は高いんだ」とか「エルメスの良さは」とか言う人もいるだろうけど、
本当に純粋に「モノの良さ」としてエルメスを選んでいる人が何人いるだろう。
そして、もし「純粋なモノの良さ」としてのエルメスを選んでいるのだとしたら、彼らに
秋葉原のマニアがフィギュアに100万円払っているのを笑う権利は無いだろう。
両者は全く同じだから。
モノ入れるだけの鞄が120万円しちゃいけない。
持ってる人から言わせれば、「それ、ひがみじゃない?」なんていうかもしれないけど、
120万円のバッグを肩から平気で下げている人と、
新興宗教に洗脳されている人と
一体何の違いがあるのだろう?
2007年05月08日 01:50