今日、バスに乗っていたところ、広尾近辺の停車場で白い帽子に黒いランドセルを背負った小学1年か2年くらいのちっこい子供たちが20人くらいわらわらと乗り込んできた。
「ぐんかん!ぐんかん!」と分けの分からないことを叫ぶ者、「座れよ、座れよ!」と執拗に椅子を勧める者、僕が愉しんでいた穏やかな昼下がりは子供たちの喧騒で台無しになった。
やることもないので、なんとなく子供たちを見ていたのだが、皆、一様に顔が良い。
特に男の子供の顔が整っている。
僕の実家の小学校を思い出してみても、もっと顔の崩れた子供ばかりだったと思う。
しかし、彼らはみなくっきりとした二重まぶたで肌もきれいだった。
「どういうことだろう?」
一瞬僕は首を捻ったが、すぐにある答えにたどり着いた。
そうか、ここは「広尾」か。
あらかじめ断っておくと、広尾に住んでいる人たちは今から僕の話す話を聞くと
確実に嫌な気分になるだろう。
怒り出す人もいるかもしれない。
僕の意見を「偏見だ」と考える人もいるだろう。
しかし、残念ながら、僕は生き方として、人生のスタイルとして、
「広尾」を仮想敵国として考えており、この個人ブログにおいて僕の「広尾」に関する解釈を述べないわけにはいかないのだ。
広尾が、嫌いである。
大嫌いである。
それは、外人の街だからか?
違う。
確かに、有栖川公園でゴールデンレトリバーを引き連れてたむろしている外人どもは目障りである。
しかし、僕が広尾を憎むその理由は、広尾に住まう日本人に原因があるのだ。
ある日曜日のことだった。
僕は広尾の商店街にあるたこ焼き屋でたこ焼きを食べた。その後暇だったので、僕としてはかなり珍しいことだけど、なんとなく
「散歩してみるか」
と思ったのだ。
そして、行くあてもなく、広尾の街をぶらぶらと散策し始めたのである。
すると…
日曜日ということもあったのだろう、30代前半くらいの夫婦らしきカップルとすれ違った。
そしてしばらく歩くと、また僕は夫婦らしきカップルとすれちがった。
そして、また夫婦らしきカップルとすれ違った。
そして、またすれ違った。
こうして、僕は広尾という街で多くのカップルとすれ違った。
気づいたら、僕は見知らぬベンチに腰掛けて、怒りで全身をワナワナと震わせていた。
なぜか?
それは、
広尾のカップルは申し合わせたように―――女が「美人」そして、男が「優しそうなブサイク」だったからである。
もしかしたらこういう人がいるかもしれない。
「いや、ブサイクと美人のカップルの恋愛だったらむしろ男にとって夢がある話じゃないか。怒る必要などどこにもないのじゃないか」
違うのです。違うのですよ。
広尾にいるのは「美人」と「優しそうなブサイク」のカップルばかりだというこの現象の裏に潜む事実がある。
まず、広尾で見た「美人」であるが、一言に美人といっても様々な種類の美人がいる。
個性の強い美人もいるし、モデルやコンパニオンをやってそうな派手な美人、アーティステックな美人、
世の中には様々な美人がいるものだ。
しかし、広尾で見た美人は、比較的清楚で、マジメで、クラスでは目立たないけどでも美人という、
「影の薄い美人」なのだった。
さて、僕が想像するに、彼女たちは、高校を卒業し、女子大に進み、そして企業に就職しOLとなった。
その職場では、派手に遊んでいるというわけではないが、しかし美人なので、それなりにちやほやされたのだろう。
そして、彼女たちはブサイクと結婚したのだ。
なぜか?
広尾で見かけたカップルの男たちは、これはまた申し合わせたように、眼鏡をかけた、オタク風の恋愛馴れしていない、プログラマー顔だった。
美人で、選択肢のある女たちは、
モテなそうで浮気をしない、でも、経済力がある、そんな最も安全な男たちを「捕まえて」
セレブの街、広尾に「巣」を作っていたのである。
そんな2人が、昼下がり、広尾の街を「全ての幸せを享受しています」という顔で手をつないで歩いているのである。
確かに、それは、「絵に書いたような幸せ」だったし、僕の目からもそう見えた。
しかし、
広尾の女よ。お前たちは、「安全な結婚生活」という理由だけで男を選んでないか?
広尾の男よ。お前たちは、「美人」という理由だけで女を選んでいないか?
邪推かもしれないが、
彼らの幸せに、なんというか「人工的なもの」を感じたのだ。
***
バスの中でそんなことを思い出していると、
ふいに僕の視界の片隅で、振り子のように振り下ろされる手が見えた。
外人のように顔の整った子供の1人が、僕の隣に座っている子供の頭を猛烈な勢いで持って叩き続けている。
それは、もうメトロノームのような正確なリズムでもって、何度も何度も振り下ろされていた。
殴られている側の子供はただ、ひたすらに耐えている。
僕はそっと、殴られている子供の顔をのぞきこんだ。
一重まぶたでまさに純日本製という顔をしたブサイクな子供だった。
僕は、思った。
「こいつ、父親似だな」
人工的な幸せに包まれたカップルからも、こうしていじめや差別は生み出され続ける。
僕はブサイクな子供に対して思った。
「殴り返せ。そして言ってやれ『俺は楽器じゃない』と」
しかし、子供は地蔵のように固まったままで、ただひたすら殴られ続けるという行為を受け入れ続けた。
こいつ、楽器か?
僕は周囲を見渡した。
保護者はいないのか?
子供がいじめられているぞ。
しかし、先生らしき人物はバスのはるか前方に座っており、この事態を知るよしもなかった。
俺が、やめさせるか?
でも、ここで大人の僕が出ていったところで、この子がいじめられるという事実はかわらないかもしれない。
結局どうしていいか分からず決めあぐねているうちに、僕たちの乗ったバスは僕の最寄り駅のすぐそばまで来ていた。
「どうしたものだろう」
しかし、やはり、結論として、彼ら2人の関係に口出しするのはよくないと思った。
もし、何かできるのだとしたら、
それは…
顔のいい子供と僕との2人の関係においてのみだ。
ブブーッという音と共にバスが止まり、中央の扉が開いた。
僕は立ち上がり、通路を塞いでいる子供たちの間を縫って行くときに、
体勢を崩したふりをして、「おっと」と言いながら顔のいい子供の頭に軽く肘鉄を食らわせてやった。
顔のいい子供は「いて」と言った。
僕は、ブサイクな子供を見た。
ブサイクな子供はうつむいたままだった。
このブサイクな子供がこれからどういう生き方をするのか僕には分からない。
ただ、僕に関して言えることは、
僕は顔のいいヤツが嫌いなのだ。
もうすぐ30歳だけど。
2006年10月12日 17:12