近所の市民プールに行ったところ、「水泳教室」なるものが開かれており、70代80代の老人老婆が水の中でワッキャワッキャと騒いでいるので、全く泳ぐことができず、「ああ、困ったものだ」とプールサイドに腰掛けてぼーっとしていたところ、いきなりある問題の解答を得た。
「麻原彰晃はなぜ空中浮遊をするか」問題である。
昔からずっと疑問だった。
なぜ、宗教の教祖は空中を浮遊したがるのだろうか。
というか、浮遊せねばならないのか。
キリストは水をワインに変えたという逸話がある。
どうして、「キリストは水をワインに変えなければならないのか」
人を幸せに導く教えであるのなら。それを教えるだけでいいじゃないか。
どうして空を飛んだり、水をワインに変える必要があるのか?
手品じゃん。
しかし、そうする理由がきっとあるのだろう。
なんて考えていたのだけど、
結論から言えば、それは
● 世界に対する概念を壊すため
である。
私たちは通常「世界とはこういうものだ」という概念を持っている。
その概念を教祖は壊す必要があるのだ。
なぜか?
それは宗教とは、救済だからである。
悩んでいる者に対する薬だからである。
悩んでいる者とは、「世界とはこういうものだ」という概念ににおいて「反エネルギー」を持った人たちである。
分かり易くいうと、現在の世界を憎み、世界に対して絶望している人である。
そういう人を救済するにはどうしたらいいか。
「あなたの見ている世界は違いますよ」ということである。
世界に対する概念を壊すのである。
反エネルギーを正エネルギーに変換するのである。
そこで教祖は世界の根本構成であるところの「重力」をまずは壊して見せるのである。
そして、これは、宗教に限らず、自己啓発の分野、
カリスマに対する崇拝に関しても同じ構図が存在し
つまりA地点にいる人に対して
A地点を壊し、
Aではない、Bだ
と言うことで考え方を「A⇒B」にするということなのである。
そして、そういった人たちが気持ち悪く感じられるのは、
本来私たちが持っている「世界とはこういうものだ」という概念が壊れている人たちだからなのである。
そして、日記でこういうことを書くと決まって大量の批判コメントがよせられるのである。
2006年09月08日 01:50