文字を書く、ということが大好きで、今年はできるだけ本を出していこうと考えているのですが、
どうして僕は本を出したいのだろうか、ということを考えていたところ、その理由の1つとして
が挙げられるのではないかと思いました。
これは戦国時代の日本を舞台としたシュミレーションゲームなのですが、
僕がみなさんに問いたいのは
「君、どの国派?」
ということなのです。
さて、このゲームを知らない女子の方からしたらいきなり「国」の「派」を問われても「どゆこと?」になると思われますが、とりあえず話が終わるまで飴でも舐めていてください。
結論から言うと、僕は「島津派」なのです。
必ずといっていいほど、それは、信長の野望地方版から全国版に変わったあの時から、僕は「島津」を取り続けているのです。
なぜ、島津なのか。
確かに島津には、島津義久、島津家久という猛将が控えており、さらに鉄砲の産地であることもあるのですが、
何よりも島津の領土が「鹿児島」だからなのです。
つまり
「全国マップの一番端」だからです。
もっと言えば
「後ろから攻められる可能性が全くない」
という状況にあるのです。
つまり島津は、北海道に向かって前に前に攻め続けることを考えれば最後は全国統一できるというシンプルさ。
このシンプルさに惹かれて僕は島津を取り続けているのです。
信長の野望においてどの国を選ぶか。
それはその人の性格を現します。
そして僕が言いたいのは
信長の野望でどの国を選ぶかによって人生が決まるのではないか(本気)
さて、「本を出す」という行為と「島津を選ぶ」という行為、この2つに共通点が見られるというか、僕の中ではこれはほとんど同義語です。
本、というものは基本的に奪われたり、減ったりしないものです。
本を出せば、印税が入ってくるし、
もし本が売れなくても、いつか爆発するかもしれないという期待が持てますし、
出せば出すほど僕にとってプラスにしかならない、少なくともマイナスはないというそれは国の端っこからどんどん北へ攻め込んでいくという
「島津性」
(これを僕は島津性と呼びたいのですが)
様々な職業を転々とした結果、僕が選んだのは、島津であったということが言えると思います。
やっぱり、俺は島津だったと。
たとえば最近合コンに行ってないのですが、そして合コンがあまり楽しく感じられなくなってきたのですが、
それも、かなり昔から僕の無意識に根強くあった考えがあるのですが、
たとえば、僕がふとした瞬間に、突発的に、めっちゃ面白いこと言えたとするじゃないですか。
しかしそのめっちゃ面白いことはその場の一瞬の笑いによって風化され、なんにも残らないわけです。
その時、僕はヘコむのです。もうかなり微妙ですが確実にヘコんでいるのです。
うわ…せっかく攻めたのに国獲れてねぇじゃん、です。
面白いことを言う、ということは攻めているのです。
その結果なり証がかなり明確な形で残っていくこと、
それが島津性に他ならないのです。
だから、話は少し変わりますが、
たとえば
「高田の馬場でラーメン店をやる」
「信長」ですね。
周囲にはライバルがひしめき合っている。
やれ一風堂が来た、名古屋からはすがき屋が参戦してきた、
そんな状況で、顧客を奪われたり、奪ったりしながら、2店舗目、3店舗目と増やしていく。
まさに織田信長です。
「新橋でおでん屋」
信長ですね。
ただ、
「新橋でスニーカー屋」
これは、伊達です。
周囲にライバルがいませんから。
最上家くらいですから。
…というわけで、人の生き方はほとんど信長の野望の国選びで説明がつくような気がします。
ダメ?
2006年03月30日 12:18