23時から24時までたっぷり1時間、近所の銭湯の湯船に入り、髪を乾かした後、頭の上にタオルを置いて、その銭湯に1つしかない3人掛けの古びた革張りのソファに腰掛けてキリンのヌーダ(炭酸水ね)を、老婆が縁側に座って陶器に入った緑茶をすするような感じでコクリ、コクリと控えめに飲んでいたところ、なんだか体の奥の方からじんわりとじみ出るようにして幸せな感じが全身に広がってきた。「ああ、幸せよのぅ」とその身をゆだねていると、ふっと、それは本当に「ふっ」と湧いて出るように気付いた。
俺を不幸にしてきたのは、女ではないのか。マジで。
「マジで」そう思ったのである。
ここで僕が「マジで」を付け加えるのには理由がある。というのも僕は過去に女性を、女性の存在そのものを批判するようなことを何度か書いたことがあった。「女の手料理はクソまずい」「女は豚である」「女は中毒性のあるセックスを利用して男から金を引っ張る」などなど…。それらの考え方は確かに僕の一部であり分身であったけども、しかし同時に、女の素晴らしさや、男として女を求める気持ちというか、当たり前だけどそういった女に対するポジテイブな考えは持っていた。ただそれを表に出さなかっただけの話である。
だが、今日は違った。
僕は、マジで、心底、「全ての元凶は女である」ということを確信したのである。
この世に女が存在しなければ。
僕はずっと漫画を読み、ゲームをし続ける人生だっただろう。
僕は漫画とゲームを愛していたし、そして漫画とゲームも僕を愛していた。僕がそのまま漫画を愛し続けゲームを愛し続けていたら、純粋に、ピュアな気持ちで愛し続けていたら、僕は漫画かゲームの関係の仕事に就き、毎日大好きな漫画とゲームに囲まれて過ごしていただろう。
しかし、僕は、それをしなかったのである。
ゴエモン、という名前の友人がいた。ゴエモンの実家は日蓮宗の寺であり、彼は寺の跡取り息子であり、将来坊主になることが決まっていた。それが原因なのか分からないけど、かなり温和な性格の持ち主で、僕の言うことは「いいよ」と2つ返事で受け入れてくれた。
高校三年の秋。
僕はゴエモンを学校の近くのコメダという喫茶店に呼び出した。
僕は何度も「それ」も口にしようとし、しかしそのたびにどうしても決意が固まらず、ただ時間が過ぎていくばかりだった。
そんな僕の様子をゴエモンはただただ恵比寿顔で眺めていた。
コインで遊べる麻雀ゲーム機の上に置かれたコーヒーが完全に冷え切ったころ、僕は震えた口でそのことをゴエモンに告げた。
「俺は…漫画を切ろうと思う」
切る、という表現は当時僕がよく使っていた言葉で、「切る」という概念には
「何かを得るためには何かを捨てなければならない」
という世界観をさらに先鋭化した哲学が含まれいる。当時の僕は受験勉強に集中するためそれまで仲の良かった友人たちをそれは華麗と言えるまでにバッサリと「切って」いた。
さて、人間関係においてはそんな冷酷なことを簡単にできてしまった僕であるが、
漫画である。
漫画を切るのである。
この事実は当時の僕にとって、宮廷での出世を目的とするために、チンポを切ることを決意する宦官ほどの重い意味があった。
1限から6限まで、授業中はほぼノンストップで漫画を読んでおり、僕が読んでいた週刊誌も、少年ジャンプ、少年マガジン、ヤングマガジン、ヤングジャンプ、ヤングサンデー、ビックコミックスピリッツ、ビックコミックゴールド、モーニングと、今こうして羅列してみると逆に読んでない雑誌を挙げた方が早かったわ、と気付かされるくらい僕は漫画なしでは生きていけない体になっていた。
そして、そのことを僕の隣の席だったゴエモンは誰よりも知っていた。その僕が漫画を切る、というのである。
ゴエモンは一瞬驚いた表情を見せたが、しかしすぐに全てを察したかのごとくゆっくりとうなずいていった。
「俺に、何かできることはあるかい?」
そして僕は、目の前にたたずむ生き仏に身を委ねるようにして言った。
「受験が終わるまで、俺の代わりに、ジャンプ年マガジン、ヤングマガジン、ヤングジャンプ、ヤングサンデー、ビックコミックスピリッツ、ビックコミックゴールド、モーニングを買っておいて欲しいんだ。受験が終わったら読みにくるから」
女にモテるためには、東京の大学に行き一人暮らしをしなければならないと盲目的に思っていた高校3年の秋。
こうして僕は漫画と別れを告げたのである。
そして受験が終わった3月。
僕はゴエモンの自宅に招かれた。ゴエモンは自分の部屋の押入れを開けて言った。
「これ、どうすんの?」
そこには、少年ジャンプ、少年マガジン、ヤングマガジン、ヤングジャンプ、ヤングサンデー、ビックコミックスピリッツ、ビックコミックゴールド、モーニングが発売された順番で几帳面に並べられていた。
僕は目の前に置かれたあまりの大量の漫画雑誌に愕然とし、そして勢いで「買っておいてくれ」と言ったものの、この大量の漫画をどうやって運び出していいか分からなかったし、なにより買い取るのにかかる金額を想像すると眩暈がし、結論として
僕は、ゴエモンを切った。
これが「始まり」であり、そして、「全て」だった。
僕はこの時から、僕の趣向の、もっといえば生き方の指針を、全て「女」に求めてきた。漫画を読む時間があったら、ゲームをやる時間があったら、ファッション雑誌を読だり、遊んでいる友人と仲良くなり合コンをする。これは非常に端的な例だけど、仕事をするのだって、有名になったり成功したいと思って努力するのだって、そこには全て「女」の存在があった。自分が好きになるような女と付き合いたい、自分が好きな女とセックスがしたい、この強烈な欲望にプライオリティを置くことで、僕の内に渦巻く多くの、しかし「女」ほどは強くない欲望たち、漫画やゲームに代表されるような「僕」は、女を求める僕によって――切られてきた。
人生に挫折したり、
人の成功に劣等感を感じたりして、
そうして苦しんできた僕というのは、そこに、「女」という欲望があったからであり、女と言う欲望があったゆえに、「本質的に女にモテない自分」つまり「女に向いてない自分」を叱咤激励し、努力という強迫観念を発動して、今の今まで生きてきたのではないか。
僕が自分の名前を世に売ろうとした最初のきっかけは、
「有名になれば女にモテる」
そう思ったからだ。
僕がお金持ちになりたいと思った理由は
「お金持ちになれば、芸能人と合コンができる」
そう思ったからだ。
こうして「女」は、僕の僕らしさを、僕が僕である理由を奪い続けてきた。
しかし、最近、少しづつ、自分が本当は何をしたいのか、何をしているとき一番楽しいのか、もっと具体的に言えば、
「自分が最も求めている『作業』は何なのか?」
ということに気付くようになってきた。
僕は毎日、自由に計画を立てて、自分の好きなことだけをやりながら生きている。それはおのずと部屋の中でする作業が多くなってはいるのだけど、でもそれが僕が求めていた本当の自分の姿なのだと思う。つまり、僕は女の目線にびくびくするより、本当に自分が好きなことをしているときが一番楽しいのだと、心から実感できるようになってきたのだ。
銭湯のソファに座りながら、僕はそのことをじんわりと感じていた。
そして直感したのだ。
僕を不幸にしていたのは女だったと。
僕は、「ああ、僕は本当の幸せを手にいれたのかもしれないなあ」とキリンヌーダに口をつけ心地よい炭酸水を喉に流し込んだ、その瞬間だった。
あ、
ああ、
あああ!
つまり、これって…
俺、オヤジじゃね?
自分の足元を見た。
靴下の色が左右微妙に違った。
着ている上着を確認した。
グレーのユニクロのフリースは3日目だった。
しかも毛玉だらけだった。
口元に手をやると、そこには雑草のように伸びている全く手入れされていない髭があった。
これか…
こういうことか!
これが、オヤジになるということなのか!
僕はすかさず時計を見た。
0:12分。
1976年11月26日8時37分。僕、はこの世界で産声をあげた。
そして―――2006年3月6日0時12分。
水野敬也は、「オヤジ」になりました―――。
「うおおおお!」
僕はソファから立ち上がり、サンダルを急いで履くと、銭湯から飛び出した。
「オヤジ、オヤジ、オヤジ、オヤジ、オヤジ!」
心の中でオヤジの3文字だけがこだましていた。
自分に対するあきらめというよりむしろ、何か新しい自分にめぐり合えたかのような興奮が僕の全身を駆け抜けていた。
この瞬間から、僕の「オヤジ」としての人生が始まるのだ。もう女の目なんか気にしなくていい。どれだけ腹が出たっていい。俺は好きなことだけをやって、好きなように生きていくことができるのだ。俺を縛る「女」という鎖は今日ついに解かれた。
つまり、
俺は、
自由だ!
僕は走った。タオルとシャンプー、石鹸の入ったビニール袋を揺らしながら走った。
サークルKの自動扉が開く時間すらももどかしく感じた。。
僕は、ドリンクコーナーに行くと、迷うことなく
● エビスビール
を手にした。
金色の、少し贅沢なビール缶。
それが今日の俺に一番合っている。
サークルKを飛び出した僕は、エビスビールの缶を空け、誰もいない場所に、右手を小さく突き出して言った。
「オヤジに(乾杯)」
そして、開口一番
「ゲフッ」
大きなゲップをかました。
2006年03月06日 03:47