暗い話が続きます。
こんなことになると最初から分かっていれば「ウケる日記」なんてタイトルにするんじゃあありませんでした。
「ウケる」という、もうこれは読者の皆様方に対するマニフェストとしては最高級の、最上級を用意した自分の思い上がりを改めて自戒しつつ、日記のタイトルを「読める日記」もしくは「23日に1度の割合でウケる日記」あたりにしておくべきだったと、今さらながら後悔している次第です。
元来、暗い人間なのでありまして。
底なし沼の沼地にずぶずぶと体を沼に引き込まれながらも、人に見られると
「あ、ぜんぜん、足をとられているとか、そういうんじゃないっスから」
と何年間もの日常的修行によって培った作り笑いを醸し出してしまうスタイルが定着してしまっておりますれば、こういった状況になっている、というか追い込まれているということが言えると思います。
というわけで、やはり今日も僕は「幸せ」について考えてしまったのです。
人が幸せになる手段、といいますか、もっといえば、こうして「言葉」によって幸せになる手段、というのは、いくつかあると考えられ、これはパターンに分類されると思います。
たとえば、ベストセラーになった
「もし世界が100人の村だったら」
これは、
● 他人の不幸と比較して自分は幸せだと実感するパターン
であると言えます。
また、「自分は他より幸せだ」という事実が100という数字にまとめることで「可視的」にしたことで、このコンセプトは成功しました。
他にもパターンはいくつかあって
● 否定した後に光を見せるパターン
これは、宗教やビジネス書でも多くとられている手法であり、ちなみに、売れるビジネス書のパターンは
【宗教】
【カウンター】
【権威】
の3つに分けられると思います。
【宗教】「金持ち父さん貧乏父さん」「非常識の成功法則」「トムピーターズ全般」など
【カウンター】「黄金の羽の拾い方」「隣の億万長者」「裏帳簿のススメ」など
【権威】「7つの習慣」「ビジョナリーカンパニー」など
【宗教】とは、
Aの人に対して、「今までお前はAだと思っていたはずだ。しかし、Aではない!Bだ!」という意見を言います。
【カウンター】とは、
【宗教】によってBだと思った人に「Bではない!」という立場を取ります。
【権威】とは、
これは、普段日常生活で触れることのない知識、アカデミックなもの、などを題材に、精密に分析し報告する、という形をとります。
少し話は逸れましたが、
少なくとも、言葉によって幸せにする(それは、文字であったり、話であったり、本であったりするのですが)のはいくつかのパターンが存在し、それぞれの時代の不幸の形に合わせて変遷してきたと思います。
斉藤一人さんの「ツイてる」は「南無阿弥陀仏」であり、それが誰でも口に出して言うことのできる簡単な言葉である、という点において、これも人を幸せにする1つのパターンであります。
さて、しかし、それが「パターンである」というのは後から考えられた「分類」でしかありません。
実際に、人を幸せにした宗教書や小説であっても、それをパターンに分類することはできるでしょうが、その語り口、題材の作り方などによって、受け手の人生に多少なりとも影響を与えられるか、もっと言えば受け手を幸せにできるかが決まってくる、つまり、パターンという「結論」ではなく、結論にいたる「プロセス」が大事なのであって、誰かが表現したものに対して「それ誰々が言ってたよ」とか「○○と同じだ」というのはナンセンスである以上に、少し残念です。というのもきっとその人は表現を味わっていない、
「え?そこ一番おいしいとこなのに、捨てんの?」状態
であるからです。
さて、今から僕がするのも、あるパターンに基づいたお話であります。
先にそのパターンを言ってしまえば、五木寛之が「大河の一滴」で繰り返し言っている、
「この世は地獄であり、しかし地獄であるという認識があれば、その中に光を見たとき感動することができる。そのようなマイナス思考の極地から考えることで人は生きていける」
という、
これを名付けるのであれば
● ネガティブ・スタート
に近いお話です。
***
「死んでしまいたい」
と思ったことはあるでしょうか。
なかなかに。
たとえば職場のPCの前でこの文章を読んでいる人や、回りに人がいる状態で今、文字を追ってくれている人たちはその時の状況や感情をすぐに思い出すことはできないかもしれません。そういった場合は、今は、まだなんとなく、ゆるやかに考えておいていただければ良いと思います。あとからリラックスできる場所でゆっくり考えてみてもいいでしょう。
少し僕の話をしようと思います。
本来であれば、ここで僕の話はしないほうがいいかもしれませんし、正直今回は特に自分に関する話はしたくないのですが、しかし、僕が今しているお話は、その状況を思い出してもらうことが1つのポイントなので、あなたが自分がつらかったこととか死んでしまいたい、と思ったこと、(それは心の中にしまっておきたいようなことであっても良いのです)を思い出していただく時間までの箸休めのような扱いとして、入れてみたいと思います。
僕の場合は、残念なくらい繊細な人間なので、
もう、結構な頻度で「死んだろかな」とか思ったりするのですが、
ちょうど、今、受験のシーズンということもあり、思い出した話をします。
僕は、高校卒業後、現役で東京のある大学に入学したのですが、当時の僕はちょっとおかしな考えを持っていてパチンコ雑誌に連載するライターとして有名になるには、東大、最低でも早慶には入らねばならない、ということを本気で考えていて、すぐにその大学を休学し、東京で、一人の浪人生活に入りました。
新宿の幡ヶ谷の6畳のアパートで、その間、友達は一人もおらず、部屋にテレビもなく、塾を往復する以外は、寝るか勉強するか、という生活を送り続けました。
今思うと、どうしてそんなことをしたのだろうと思いますが、この時、僕は
「リラックスをするのは時間は無駄だ」
と考えていたので、塾に行く以外は、もう完全に部屋に篭もって、ひたすら勉強するか、もしくは大学に入学してから自分を待っているであろう幸せなキャンパスライフの妄想をするか、その2者択一の生活をしていました。
繰り返しますが、図書館や喫茶店で勉強することは一度も無く、僕はずっとずっと部屋にいたのです。
この年が確か1995年か94年だったと思いますが、僕はこの1年、人生の中で唯一、一度も笑わず(本当に、一度も、です。なぜなら僕には話し相手がいなかったから)生活をしていたのです。
その後、僕は、センター試験中、「隣の席の男のマークシートを擦る音がうるさくて集中できない」という理由でパニックになり試験会場を飛び出し国立大の受験を断念し、さらに、その後、残された私立大学の試験1週間前に、部屋にいるだけで恐怖を感じるようになり、そのまま新幹線に乗って実家に帰りました。
試験会場に行くのが怖いのです。
「もし実力を出し切れなかったらどうしよう」
「もし隣のヤツがうるさくて集中できなかったらどうしよう」
「もし試験に落ちたら、今まで妄想してきた俺の将来が水の泡だ」
そんなことを考え出すと、脳みそがビリビリと痛み出し、足ががくがくと痙攣し、その場を動けなくなるのです。
3教科の総合偏差値は75を超えていました。
これは僕の頭が良かったとか、では決してなくて、ただ、盲目的に一日中バカみたいに勉強していたからだと思います。
この時は、本当につらくて、僕は死んでしまおうか、と本気で思った瞬間でした。
(僕はこの時、実家から10m先にある水田医院の水田先生という「内科」(この人は精神科ではなく内科でした)の謎の荒療治によって救われることになるのですが、その話はまた別の機会に)
僕は、幸運にも、こうして生きていられるのですが、
あの時、運命のサイコロがあともう何回か出てはいけない目を出していたら僕は死んでしまっていたのではないか、と本気で思うのです。
そして、今この文章を読んでいるあなたも、たぶん、一度はそういった経験があると思います。
そのつらさは、他人には決して共有されないかもしれない(もしかしたらそれは、共有されないというよりは、「共有されたくない」という感情と共にあるかもしれません。僕だって、「分かるよ」と慰められたって「お前に分かるわけねーだろ」と言いたくなるし、「世の中にはもっとつらい人だっている」なんて言われても「俺の方がつれーよ!」と言い返したくなることがあります)そして、そのあなただけが知っているつらさに、少しひたってみる。
そして、ふと、思ってみるのです。
「あの時、死んでもおかしくはなかった」
いや。
「仮に、死んでいたとしよう」
仮に、あの時死を選んでいたとしたなら、
今、こうしている僕は何だろう。
それは―――「おまけの人生」と呼べるのではないか。
「死んでしまいたい」と思ったときを分岐点として、しかし死を選ばなずに、なんとか生きながらえている今の自分を意識する。
本気で意識してみる。
すると、僕はこのとき、いくつかの真実、「おまけの人生における真実」を直感したのです。
×
寝る時に、「ああ寝たらだめだ。頑張らなくては」と思うのは、間違っている。
○
寝るときは、「うわっ、布団、めっちゃふかふかじゃーん。めっちゃ気持ちいいじゃん。」って思うのが正しいそれがどんなときであっても。締め切り間近だろうか企画ができてなかろうが、寝るときは、「うわっ、気持ちいい」が正しい。
○
最高で最大の夢を描く。と同時に、いついかなるときでも、それをあきらめてよい。
○
やりたいことだけをする。と同時に、やっていることは全部楽しい。(部屋掃除だって死んだらできない)
○
後悔する時間はもったいない。というか、おまけの人生においては後悔のしようがない。
○
心配する時間はもったいない。というか、おまけの人生においては心配のしようがない。
○
「しなければならないこと」は何もない。つまり、「感謝しなければならない」なんてこともない。
○
成功ですら、自由を縛ることはできない。と同時に、成功を夢見るのも自由である。
○
できることなら、人を幸せにしたい。
2006年02月28日 17:09