テレビやインターネットなどのメディアの普及によって
世界の隅で起きたできごとから、隣の家の事件まで、
私たちは一瞬にして様々な情報を手に入れることができるようになりました。
しかし、そんな情報化社会においても、知られざる情報が存在します。
その情報とは、「プライベート」なものであり、そのプライベートの極地にあるのが
「恋愛」と「セックス」ではないでしょうか。
いや、確かに、恋愛とセックスに関する情報は、そこらじゅうに転がっており、
手を伸ばせば簡単に手に入れることができます。
しかし、「実際のところ」はどうなのか。
あなたは、あなたの身の回りにいる人たちが、どんなセックスをしてどんな恋愛をしているか、
その「生の情報」はほとんど手に入れられないと思います。
自分がともだちに接するときと、彼女や彼氏と接するときは明らかにその対応が違うのに、
しかし、その状態を生で経験しているのは、自分たちだけ。
恋愛とセックスは当事者だけの閉じられた世界の出来事であり、
その生々しい情報が周囲に伝えられることはほとんどありません。
もし伝わる事があったとしても、それは当事者を介して行われるので、見栄や羞恥などの感情によって簡単に情報操作が行われます。
つまり、情報として、「リアルのセックス」や「リアルの恋愛」に関する情報を私たちは手に入れることは極めて困難であるといえます。
この事実を踏まえると、仮に、こういうことが言えるかもしれません。
「世の中の男性は、『ある状態』に陥っていて、多くの人はそれを『恋愛』と呼んでいるのだけど、
実際のところ、それは恋愛と呼べるようなものではなく、ある種の病に侵されている状態である」
実際、それは健全な状態とは呼べないのだけど、「恋愛」と「セックス」における情報が欠如しているために、 多くの人はそのことに気付かず「きっとこれが恋愛というものなのだろう」と自分に言い聞かせている。それを何年も何年も、場合によっては初恋から死ぬまで続けている、という可能性もあるのです。
その病名は
「セックス中毒」
です。
ちなみに、「セックス中毒症」という精神の病は存在するのですが、
今回テーマにしたいのは、「多くの人がそれを健全だと思っている状態」
であっても、実はそれは中毒に侵されているのではないか、ということなのです。
そこで、まず問題となるのは
「男性はどのようなセックスに快感を覚えるのか」
です。
これは、よく言われるように
「体の相性が良い」とか「好みのスタイルをしている」ということも関与しているでしょうが、
もっと深い部分で、男性が快楽を覚えるシステムが脳にあります。
小池一夫原作の漫画「傷追い人」
という漫画でこういうシーンがあります。
主人公が何者かに襲われて、縛られてしまう。
主人公が縛られている前で、婚約者が暴漢に犯されそうになる。
その時に、ある女が現れてこう言います。
「お前が、自分の好きな女が目の前で犯されるのを見て勃起しなかったら助けてやる」
しかし、主人公は勃起してしまうのです。
女は言います。
「男は自分の最愛の女が犯されるのを見ると一番興奮する」
……かなり昔に読んだ漫画なので、なんとなく思い出しながら書いていったらとんでもない話の流れになっていますが、とにかく「男は自分の最愛の女が犯されるのを見ると興奮する」のです。
なぜか?
それは、「不安」だからです。
自分の持っているものを失ってしまうのではないか、という不安が男を興奮させるのです。
そして、この「不安」をもっと広義にとらえるのであれば、
男がセックスにおいて興奮する女とは、「離れている女」だと表現することができるかもしれません。
離れている女とは、たとえば
「手に入りそうにない高嶺の花」
「手に入れたと思ってもすぐにいなくなってしまいそうな女」
「連絡がなかなか取れない女」
こうして、離れていることで、不安にさせられた男たちは
セックスという「結合」によって安心する、もっといえば、
離れている距離が遠ければ遠いほど、その結合の瞬間であるセックスの快楽はその分だけ増すと言えるでしょう。
セックスにおける快楽は、不安によって培養されているのです。
だから、
わがままで、
自分の思い通りにならなくて、
好き勝手生きている、
チャランポランな、
男を不安にさせる娼婦のような女がモテるのです。
しかし、(ここからが問題なのですが)
不安に根を張るセックスは中毒性を持ちます。
これはどういうことかと言うと、
通常時、男には不安がベースにあるわけです。
「彼女は今何をしているのだろうか…」
「彼女は他の男と遊んでいないだろうか…」
「彼女は本当に俺の事が好きなのだろうか…」
男は不安なのです。
それでは男の不安はいつ解消させられるのか。
セックスです。
男は、セックスをすることでこの女は自分のものだ、という束の間の安心を手に入れ、
その瞬間男はめくるめく快感を感じるのです。
しかし、この構図。
不安がベースにあり、セックスで安心し、快感を覚えるという構図。
これに、非常に似ているものがあります。
「麻薬」です。
このようなセックスにおける快楽は、麻薬と全く同じなのです。
「不安」という禁断症状から逃れるために、「セックス」という麻薬を打つ。
これを繰り返していくことで、セックスに対して中毒を作り上げていくのです。
そして、多くのモテるとされている女は、この依存を作り出そうとしています。
男に飽きられないために、そうした行動を奨励する恋愛本もあるようです。
そして、本当に多くの男性が、このセックスに中毒する構図にハマってしまっているのではないか、
と思うのです。
付き合っているときは多かれ少なかれ不安があり、その不安がセックスという結合によって安心に変わる、この構図にあるかぎり、彼らがしているのは「恋愛」ではなくて「中毒」です。
それは、タバコがニコチン中毒であり、
パチンコをやめられないギャンブル中毒に似ています。
しかし、「恋愛」や「セックス」が最もプライベートな分野だからこそ、
知らず知らずのうちに中毒した状態を「あの子が好きなんだ」と自分で勝手に解釈し、それを「恋愛」と呼んでいる。
ただし、タバコもギャンブルもそうであるように、恋愛もセックスも当人の自由なので、それが依存していたり中毒化しているのはなかなか分からなかったり、分かったとしてもやめられないのです。
2006年02月02日 18:36